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№206 石山三四郎(小寸こけし) [蔵王高湯系]
故阿部平四郎工人が創作した「どんころこけし」とよく似たものですが、平四郎工人のこけしは昭和44年に天江コレクションの蔵品をヒントに制作され「どんころこけし」と名付けられました。しかし、この三四郎こけしはそれよりもだいぶ前、昭和17~18年頃に制作されたものです。ずんぐりむっくりの姿形は観る者の心を和ませてくれます。
№205 平賀謙次郎(小寸こけし) [作並系]
№204 石山三四郎(小寸こけし) [蔵王高湯系]
№202 渡辺喜平(小寸こけし) [土湯系]
№197・198 鈴木幸太郎(豆こけし) [木地山系]
№196 石沢角四郎?作(豆こけし) [蔵王高湯系]
№195 菅原庄七作(豆こけし) [遠刈田系]
№194 山尾武治作(袖珍こけし№31) [遠刈田系]
№192 高橋忠蔵作(豆こけし) [土湯系]
№191 佐藤三蔵?作(豆こけし) [遠刈田系]
№190 長谷川清一作(豆こけし) [鳴子系]
長谷川清一作の豆こけし。なんと小さく、なんて可愛らしいのか、言葉が見つからない。たくさんの豆こけしを観てきたが、この作品と出合えて本当に良かった。
この作品と出合えるまでに40数年かかってしまったが、それでも待っていて(伝統こけしの収集を続けていて。)良かったと心から思う。
これこそ、箱根の御芥子人形の再来と云える作品である。私は箱根の御芥子人形こそ、伝統こけしのルーツであり、東北地方に蒔かれた伝統こけしの「種」であると考えている。
江戸時代末期、東北地方の木地師が、上方見物の途中で観た(買った?)箱根湯本のお土産品の中に、御芥子人形があり、旅する木地師の目にとまった小さな木地挽きの御芥子人形、それをヒントに東北地方の温泉場(土湯、作並、遠刈田、鳴子)で発生(発芽=創作)したのが、今に伝わる伝統こけしの祖系になったものと考ている。
私には、この清一こけしこそ、江戸時代の御芥子人形を彷彿させるものであるが、いつかきっと、その内に箱根湯本の御芥子人形が発見出来て、その事が証明される時が来るものと信じている。
№189 秋山慶一郎作(豆こけし) [蔵王高湯系]
秋山慶一郎作の豆こけし、制作年は昭和18年前後?と思われる。上を見つめて何かを訴えかける、瞳からは松三郎のえじこに描かれる顔の表情とは、似ている様でどこか違う。寂しげでもあり、きかん気の様にも見える、表情からは、慶一郎の心情が表現される。
鳴子系こけしの最近作にも、この様なスタイルを表現したこけしが見られるが、その先駆けともいえる慶一郎の豆こけしは、簡素な重ね菊の胴模様と共に、愛おしくてならない伝統こけしである。
タグ:伝統こけし・蔵王高湯系
№188 佐藤三男?作(袖珍こけし№81?) [遠刈田系]
№187 佐久間太市?作(豆こけし) [土湯系]
№186 大沼(後藤)希三作(袖珍こけし№84?) [鳴子系]
後藤希三作 袖珍こけし№84?
袖珍こけしは「№100まで頒布予定が、戦時中諸般の事情で№80までの頒布品で完了」とされていると言う事はよく知られている事実である。
№81以降、№100までの頒布品については、故中屋氏が№81として荒井金七作の袖珍こけしを『木の花11号』紙上で紹介しているが、それ以外の作品については、どの工人の作品が何番かを教える資料を私は知らないでいた。
その様な時に、入手した豆こけしの中に大沼希三作があり、底に「84」のスタンプ印が押されていたのを見つけた。確かな事は言えないが、80番以降の頒布品の中のうち、84番は希三工人の作品を予定されていたものと思われる。
この希三こけしが№84であるとするならば、あと残り「18」作品の袖珍こけしのナンバーリングが気にかかる。いつの日にか予定されていた100番までの全てのナンバーリングが解明される事を願ってやまない。(もしかして、100番までの工人名は既に分かっていのかも・・・?。私だけが知らないだけで・・・・!)
なお、描彩(特に目)に付いては眼点のハチャメチャさに、どう表現して良いか、言葉が見つからない。まるで、なにかの現代マンガで表現される目を見ているようである。
№185 子守りこけし [子守こけし]
子守りこけし
№181と同タイプの子守りこけし。№181が羽鳥広良作であるとすれば、同じ工房で制作されたものか?
二本を並べて見ると分かるが、描彩のスタイルはほとんど同じ、子供の頭頂部が少し違うことだけである。
ただ、この子守りこけしはどことなく、女性が描いたものと思われてしょうがない。
少し寂しげで、あどけない表情の子守りの女の子、メルヘンチックな雰囲気を漂わせて、観る者の心を掴む。
№181と同タイプの子守りこけし。№181が羽鳥広良作であるとすれば、同じ工房で制作されたものか?
二本を並べて見ると分かるが、描彩のスタイルはほとんど同じ、子供の頭頂部が少し違うことだけである。
ただ、この子守りこけしはどことなく、女性が描いたものと思われてしょうがない。
少し寂しげで、あどけない表情の子守りの女の子、メルヘンチックな雰囲気を漂わせて、観る者の心を掴む。
タグ:伝統こけし・子守りこけし
№183・184 山尾武治作(豆こけし) [遠刈田系]
№181 羽鳥広良作(子守こけし) [子守こけし]
羽鳥広良作 子守こけし
山形系の工人の中に、「羽鳥広良」という工人が居るとは、恥ずかしい話ですが今まで知りませんでした。ネットオークションの出品作の中にその名があり、、調べて見たら確かに小林友次の弟子として掲載されています。
小林友次工人の名は時々聞きますので、その作品は知っていますが、羽鳥工人の作品は見た事がありませんでした。ネットで調べてみたら、一点だけそのリンク画像が出てきました。
画像を見る限り、確かに山形系小林一家の系譜に続く作品と見てとれます。ただし、このこけしは戦後作と思います。残念ながら、戦前の作品は確認できませんでしたが是非戦前作も観てみたいものです。
今回、私が入手した作品は子守りこけしですが、制作年代は戦前作です。ネットオークションに出品されていた作品も子守りこけしで戦前作と思われます。今回、同手のものを入手したので、掲載します。
私は子守りこけしやモンペこけしが好きで、機会あるごとに入手していますが、ほとんどの作品は作者名が分かりません。今回の子守りこけしが羽鳥広良工人の作品と分かり、一つ胸の閊えが取れました。
山形系の工人の中に、「羽鳥広良」という工人が居るとは、恥ずかしい話ですが今まで知りませんでした。ネットオークションの出品作の中にその名があり、、調べて見たら確かに小林友次の弟子として掲載されています。
小林友次工人の名は時々聞きますので、その作品は知っていますが、羽鳥工人の作品は見た事がありませんでした。ネットで調べてみたら、一点だけそのリンク画像が出てきました。
画像を見る限り、確かに山形系小林一家の系譜に続く作品と見てとれます。ただし、このこけしは戦後作と思います。残念ながら、戦前の作品は確認できませんでしたが是非戦前作も観てみたいものです。
今回、私が入手した作品は子守りこけしですが、制作年代は戦前作です。ネットオークションに出品されていた作品も子守りこけしで戦前作と思われます。今回、同手のものを入手したので、掲載します。
私は子守りこけしやモンペこけしが好きで、機会あるごとに入手していますが、ほとんどの作品は作者名が分かりません。今回の子守りこけしが羽鳥広良工人の作品と分かり、一つ胸の閊えが取れました。
タグ:子守りこけし
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