№190 長谷川清一作(豆こけし) [鳴子系]
長谷川清一作の豆こけし。なんと小さく、なんて可愛らしいのか、言葉が見つからない。たくさんの豆こけしを観てきたが、この作品と出合えて本当に良かった。
この作品と出合えるまでに40数年かかってしまったが、それでも待っていて(伝統こけしの収集を続けていて。)良かったと心から思う。
これこそ、箱根の御芥子人形の再来と云える作品である。私は箱根の御芥子人形こそ、伝統こけしのルーツであり、東北地方に蒔かれた伝統こけしの「種」であると考えている。
江戸時代末期、東北地方の木地師が、上方見物の途中で観た(買った?)箱根湯本のお土産品の中に、御芥子人形があり、旅する木地師の目にとまった小さな木地挽きの御芥子人形、それをヒントに東北地方の温泉場(土湯、作並、遠刈田、鳴子)で発生(発芽=創作)したのが、今に伝わる伝統こけしの祖系になったものと考ている。
私には、この清一こけしこそ、江戸時代の御芥子人形を彷彿させるものであるが、いつかきっと、その内に箱根湯本の御芥子人形が発見出来て、その事が証明される時が来るものと信じている。
№186 大沼(後藤)希三作(袖珍こけし№84?) [鳴子系]
後藤希三作 袖珍こけし№84?
袖珍こけしは「№100まで頒布予定が、戦時中諸般の事情で№80までの頒布品で完了」とされていると言う事はよく知られている事実である。
№81以降、№100までの頒布品については、故中屋氏が№81として荒井金七作の袖珍こけしを『木の花11号』紙上で紹介しているが、それ以外の作品については、どの工人の作品が何番かを教える資料を私は知らないでいた。
その様な時に、入手した豆こけしの中に大沼希三作があり、底に「84」のスタンプ印が押されていたのを見つけた。確かな事は言えないが、80番以降の頒布品の中のうち、84番は希三工人の作品を予定されていたものと思われる。
この希三こけしが№84であるとするならば、あと残り「18」作品の袖珍こけしのナンバーリングが気にかかる。いつの日にか予定されていた100番までの全てのナンバーリングが解明される事を願ってやまない。(もしかして、100番までの工人名は既に分かっていのかも・・・?。私だけが知らないだけで・・・・!)
なお、描彩(特に目)に付いては眼点のハチャメチャさに、どう表現して良いか、言葉が見つからない。まるで、なにかの現代マンガで表現される目を見ているようである。
№158 小島正作「鳴子便り」(小寸こけし) [鳴子系]
鳴子の小島正が制作した、「鳴子便り」と名づけたこけし通信用のこけし。底の蓋がエジコに成っていて、その蓋を開けると中に通信欄用の小さな紙が入れてある。前に善松(№132)の小さなエジコを掲載したが、それも通信用こけしの底の蓋と思われる。
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